なぜ、物理的な距離があるのか?
それはおそらく自分の本当の純粋な思いに降りていく為に、体の距離を離されるのだと思います。
それからもう一つ意味があった。
過去世ストーリーのなぞらえを私たちは肉体でやる必要がなかったから。
よくわからないことが多くて、いろいろなブログでの情報の中で、納得するものがありました。
ツインのプロセスというもの。
なんだか、これに沿ってる気がする。。。
じゃあ、解決策もヒントがあるかも…。
ツインソウルには、7つのステージがあると言われているそうです。
それは、霊的覚醒と真実の愛に
目覚めるためのステップなのだとか。
第1段階:認識(出会い)
第2段階:テスト
第3段階:危機
第4段階:サイレント期間(ランナーとチェイサー)
第5段階:手放す(浄化)
第6段階:覚醒
第7段階:統合(再会)
女性側の方が、直感が鋭かったり、見えない世界を受け入れやすいので先に気づくことが多く、その時に霊的な理解と2人の関係がどう言うものかを知ること、そして覚醒のプロセスを担当すると言われています。
男性側は未だかつてない痛みや、惹かれるものを感じ、理性を超える恐怖を覚え距離を開けると言われています。
このランナー(逃げる人)とチェイサー(待つ人)のステージでとても苦しむカップルが多いと思います。
いきなり男性(ランナー)から距離はあけられ、なかなか会えない、連絡もしなくなり、浄化できていない様々なものが浮かび上がってくるから。
今おそらく私も4段階目かな。
あの夢の中で、
彼が背を向けて行ってしまったのが、
その始まりだったかもしれない…。
そのプロセスの大枠を理性で理解しつつも、実際は感情が大いに揺さぶられます。とてもとても苦しいのです。
体を離されると、エネルギーでの交流が強くなるのです。
これは多分、距離を超えてお互いをささえあっているのです。
不思議と物理的な距離が近いと、
エネルギーの交流は落ち着つきます。
円のような感覚。
やっぱり、妙に自分の状況に当てはまってない⁉︎
やっぱりツインなのかも…。
そう、頭で理解しようとします。
でもそれとは別に、生々しい感情がまた湧き上がってくるのでした。
この生々しい感情を消化していくために、このプロセスを知ること、
理解はとても助けになりました。
何を指針として進めばいいのかを教えてくれたと思ったのです。
殿たまと仲良くなるたび、私に湧き上がって来た思い。
それは、実体が欲しいということです。
なんで私たちが、肉体を持ってこの地球に生まれてくるのかも、わかった気がしました。
肉体の五感で感じることは、本当に肉体でしか味わえません。
食べたり飲んだり、声を使って伝えたり、触れ合って温もりを伝えたり。
心臓の痛みも、涙の味も、怒りで体が熱くなったりも。
その経験のために、きっと受肉するのです。
めちゃくちゃ殿たまとは、仲良しです。
でも触ることはできません。
話したり、想いを伝えあったりはできます。それも心を開いて、ストレートに伝えあったりしてます。
でも、その表情を見たりすることはできないのです。
抱きしめる感覚はあっても、
つかむことはできないのです。
手は空を通り過ぎるだけです。
すると、実体の彼の方に意識が向きます。
執着だ、と思います。
あの人は気がついていない。
するとこう思うのです。
私は約束を守ったのに!
姫に連れられてまっすぐここまで来たのに。
あの人は気づかない!気づいてくれない。
そして、自分とは違う人と一緒にいるところを見せられるのです。
どんなに魂がつながってようが、
目に見える世界では、ただの知人レベルに過ぎないのだから。
みんな、目に見えるもので判断するでしょう?
「現実をやる」「現実が大切」とか言われるんです。
私にとっては見えない世界のことだって、体感覚で感じているので、生々しいリアルです。
彼の周りの人からすれば、彼に対して私はただの「馴れ馴れしい人」です。
あちらは社会的地位があるので、
仕方ないのでした。
だから彼自身はなんだか受け入れていそうなんですけれど、周りからはなんだお前は、という扱いを受けます。
それを見て、一生懸命、常識から逸脱しないように、接しようと思うのです。
本当に悲しさと、辛さと、切なさのようなものがこみ上げて来ます。
悲しみ、寂しさ、孤独。
私は、それで本当にいいの?と、
相手に心で話しかけるのです。
殿たまが大好きなほど、そう思いました。
ギャップがありすぎて。
ぶつけるところがないので、
結局殿たまにいうしかありません。
「私は人間なの!実体が欲しいわけ!」
「わかるよ」
と言って、頭をポンポンしてくる(←私の手を使ってるんだけどね)
「体がある人と一緒にいたいの!」
「わかるよ」
殿たまはわかるよ…と、言います。
ちょっと困った様子の時もあります。
そうなんだ。
わかってくれるんだ。
でも、なんの解決にもならない。
そして、私が心を揺さぶられるようなことを目の前に何回も見せられた時、
私には私の夢があると強く思うのでした。