ゆるすことって、難しいですよね。
私はとっても難しかったです。
今も引っかかることはあります。
近い関係なら近いほどかもしれません。
いろいろなことが起こる前の話。。
まだ自分の力で、なんでもできると思っていた頃。
それは両親に対してもありました。
親や周囲の期待に応え続けた自分。
自分で言うのも変ですけど、
察しもいいし、それなりに色々できるし、
頭脳の働きは、けっこうよかったりしました。
だからいろんな場面で期待されました。
うまくも使われました。
人に怒りをぶつけることも苦手で、
「自分の気持ちは言っちゃいけない」と思って言わずに、ひとりで対処できるようにがんばってました。
応えられない罪悪感。
できるという優越感。
がんばりすぎて悲鳴になる。
自分を見失い、病院に行ったら、
鬱だと診断されるところまでいきました。
あぁ、懐かしい。
やっぱ、うまくいかない時は、
生きかたを変えなさいのサインだと思う。
その辺から、自分の確立と、癒しと、
育む道が開いていきました。
最初は傷が深すぎて、自分が「寂しい」ことすら認められませんでした。
癒しって言葉もキライ。
不思議なもので、痛すぎると認めることもできないし、あると知ることもできないんですよね。
だから、最初は、受け止められる自分を養う作業が必要だと思います。
マミーにも、その気持ちをぜんぶぶつけたことがありました。
初めて。
泣かせるほどに。
マミーは、いつも強がりばかり言ってたんだと、それでわかりました。
彼女自身が、本当の気持ちを押し殺して、頑張っていたのです。
その頃から、両親との和解が進んできました。
いい子をやめて、不良になったんです。
私なりに。
今までと変わって来ると、周りの人が反応します。察知能力は高い!
戻そうとするんですね。(逆側も経験しました)
受容って、じつはよわよわしい行為ではなくて、
とても強い、積極的な行為でもあると思います。
流されることと、受け入れることは違うからね。
近しい関係は、
理解して欲しい気持ちが強いから、
ゆるせなくなるんだろうと思います。
わかってよ!!ってやつですね。
それって、苦しい気持ちにしがみつきながら、その関係性にしがみついていることとも同じなんだなぁと。
これは、愛が何かを勘違いしていたからなんですけど。
なのにやめられない。
ダイエットを考えながら、ポテチ食べることと一緒。笑
ゆるすと、そこから自由になって、とても世界が広がります。
そこに癒しが起こるような気がしています。
ゆるしって、人のためだけにあるかと思ってたけれど、自分のためでもあったんだと、思いました。
でも、できない時は、ゆるせない自分もゆるしてしまう。
それを丁寧に、カッコつけずに、
受け入れていくと、ある日突然ゆるせる自分になっていたりするから、
転じる時は劇的です。
今は、私にこうあってほしいと、
期待する人もいるけど、そんなのはそうなんだって、ただ思うだけ。(もちろん、私がやりたければやりますけど…)
ふーん。自分の為ねって、思うだけ。
だったら、あなたが、
そうなればよいんだよって思います(*^^*)
逆もまた然りで。
いつも人生にはドラマがありますね(^-^)