I Love Serendipity.

私のツイン体験記

★第106話★狐女に会う※毒舌の回(笑)

とっても解放され、楽になった私は、

本体彼に対する、ちょっとした苦手意識も吹っ飛んでいて、楽しい気持ち、嬉しい気持ちで、ちょいちょい交流を楽しむようになってました。

 

そんな時、ある会にお呼ばれします。

以前南の島のご夫婦のお友達カップルが、近くまで来ているとのことで、

コンタクトとって会いました。

 

それは、イザナミについて語る会。

 

で、そこで不思議なものを見ることになる(笑)

 

この会は、まぁ言ってみれば、イザナミという神さまが何かを語る会なんだろうね。

それで、神事をやっている人たちも数人いました。

みなさん、そのエネルギーが何なのかを熱心に探求してて、日本のあちこちに行ってて、それに対して、私は感心したり、なぜそんなに探求したいのかが不思議だったりした。

その人たちは、イザナミなり、瀬織津姫なりが祀られているところに行って、お祈りを捧げ、メッセージを降ろしたりとかそんなことをしてるようだった。

土地の波動を上げるということらしい。

 

(数ヶ月前に、「もう、封印は解かれました」って言ってたから、私は単純に、女性性の解放はどんどん勝手に起こって行くんだろうなぁと思ってた。)

 

イザナミの話は、聞きながら、ぴったりだなって思ったから、自分の体験をシェアして見たくなり、話しました。

 

プレアデス、シリウス 、マリア

菊理姫瀬織津姫、白山のこと。

転生、前世、水

魂の融合。

見たビジョンや会話した内容とか。

 なんかをかいつまみながら話す。

 

その中の1人の女性が、私の過去世から今に繋がったという話の時、ごちゃごちゃして話がわからん!クスと笑い、

(波動が)重い重いと言って、首さすりなんかを始めました。

私はその頃からその人から向けられる圧を感じ、ビシビシ痛いものを投げつけられていた。縛られ、自由に話せないような苦しさを感じ始めてました。

 

私のハイヤーの金のマリアの話の時とかも。

ここでその圧がキツくて飲み込まれて負けない為に、金のマリアを思い浮かべて、同調してその黒から逃れる、光の壁を作ろうとして、心を鎮めていました。

ますます気持ち悪いといい始める、その彼女。

 

その人はコノハナサクヤヒメにゆかりあるって言ってたけど(要はその魂の分け御霊だって言いたかったようだ)、ネイティブアメリカンのホピ族(シリウスと深く関わると言われてる)の神事にも参加してるって言い放ってたけど、

私には狐憑きにしか見えなかった。

(ちなみに南の島に行った時、不思議なエリアに連れて行ってもらい、ホピ族について初めて教えてもらいました。ホピ族って響きが印象に残ってて、そこにある伝承は、プレアデスとツインのことだっておもった。後で調べてわかったので、興味あったら見て見てね。)

 

その殿姫の過去世を、終わりにしたほうがいいってその女と、もう1人、セッションして、スピリチュアルなんたらって活動をしている人も言ってきた。

重いからってw

 

重いのなんかあたりまえ。

思い合っててもうまく行ったことがない歴史ばかり。圧倒的にそういう方が多いはず。

それは2人だけではなく、人類の重い(地と分離の)波動を背負った展開だったんだから。

波動を上げに来たってそういうことだ。

残念ながら、ろくな展開になってない(´-ω-`)

(輪廻とはそういうことだ。課題があるから、また生まれる。生まれている時点で、あなたにも課題があるっていうこと。人間だからね。

チャネリングできようが、霊能力があろうがそれは関係ない。)

いや、あえて辛い経験だけを思い出すというのもある。解放するために。

私はあえて、それにチャレンジしてきたんだろうなと思う。

(本当にたまんないよ。本来は仲良しなのにね。

レイとか光と言われるのもわかった。

そのままなんだよ。

もともと光の体なんだから。)

 

だから、重いって、それ言ってどーする?って思う。そういうところまでしか言わないスピリチュアルなんたらは多い。

チカラのある人は、希望の道やヒントまで示してくれるし、それが出来なければできる人を紹介したり、逆に不安にさせることは何も言わない。

(前々回、過去の自分にありがとうと言ってとか、あれもそうだよね)

 

私嫌いなんだよね。

設定変えたら、すぐに全部変わるとか言う系のスピの人。

そうじゃないことが、世の中にはある。

 

プロセスってあるし、初対面で、信頼関係がない中で、いきなりそれ「だけ」言ってくるのは人としてどうかと思う。

だいたい説明不足、言葉たらずが多いんだけど。

 

私の話は、重い重いと目の前で何かの儀式をして、シャラーンと鈴を鳴らされ、狐女とスピリチュアルなんたらの人に、祓われた(笑)

こんなことばっかりしてるんだろうなって思った。

その人たちが女神を語るわけ。

もう試練はないから愛しなさいとかね。

イザナミとか瀬織津姫とかコノハナサクヤとかをね。

めっちゃ不思議だった。

 

私が感じた女神(マリア)と呼ばれる存在は、

大きく、優しく、明るく、能天気。

繊細な空気を放ち、穏やかな微笑みを浮かべる。

私が思う瀬織津姫と言われるエネルギーは水だ。祀られているところだと言われていくと、そこにはいつも水がある。

湧き出る清浄な命の水。コポコポやサラサラって音が似合う。

水のエネルギーは、生命を育み、生み出し、湧きあがり、優しく時には荒れて、すべてを飲み込み、濁り、止まれば澱み、流れては洗い流し、キラキラ光り、まぁ、そんな感じだよね。

ちなみに、水の波動だって、悪いものではなくて重い場合がある。

私が行った、最近の龍ブームで龍好きな人が、こぞって参拝したりしているある有名な神社は、神域に入った途端ものすごく重い。水の違うカタチのエネルギーだ。

のちに南の島へ行き、そこも龍がいると言われている水の場所へ行って、水のエネルギーは恐怖を感じるほど重い場合があると学ぶ。この恐怖は、畏怖と言う。

(そして龍ブームがあまり好きではない。龍って自然を守ってると思う。個人のお願いをどーのこーのじゃないと思う)

 

私のような体験は、なかなかできないと聞いた。これも何人もに言われてる。

 

知りもせず、波動だけで話す人が嫌い。

そして、知らないことは自分よりも知っている人に、聞けばいい。

素直に受け入れてみればいい。

スピブームの弊害は、自分の感覚を信じろと言って検証をしないとか、そういうこともあると思っている。

人がいる意味ということがあると思っています。

自分を信じられなかった人は、信じるプロセスが必要だし、人の言うことを聞かなかった人は、受け入れると言うプロセスが必要だ。

本当に、自分だけの感覚、自己創造だけなら、たった1人で生きればいい。

でも地球はそうではないわけです。

グランディングが大事と言われる。

自分の能力を恐れていた頃、私はすでに、会うとほぼ全員に、その道の能力者から、感受していることは合っている。その能力があると言われて来ていました。1人2人ではないんです。そらもー、何人もから。

でも、検証していた。

そして、他の人のシンクロだのエネルギー感受についての話で、違和感を感じても、それについてやんわり伝えても、聞かない人は多いw

それには、2種類あるんだけど…。

私ができることは伝えるところまで。

妄想と、そうでないものの境目について、尊敬する能力者に質問をしたことがあります。

それは、制限を知っているかどうかだと教わる。ここでいう制限とは、現実との検証、観察。限界で苦しんだことなどを指しています。

 

魂の深い繋がりまで理解したり、読み解ける人は、切れとか終わりにしろとか、斬って捨てるようには言わない。

それがいい方向だったとしても、言い方を考えてくれるものだ。

 

私のエネルギーの見立てはあってるとそっち系の方から何人もお墨付きという前提がありつつ、

あー、こいつは神事とかに行きながら、神とか言ってる別のものに入られちゃったんだなぁと見てました。

ちなみにそれが悪いとは思わない。

自分が何を望むかだからね。サイキックを望み、感覚を開けばそういうこともあるってことだ。

でもそういう人は、私からは逃げるように帰っていくんだよね。

チャネラーにはそう言う人もいるので、注意も必要だ。

いつもいつもじゃなくて、たまたまその時だけかもしれないけれど。

 

この感じは…。

私の念切りしてもらった感じに似ている。私を呪った女の念のまとわりつき方に似ている。

上から覆い被さり、刺すような感じと、押しつぶそうとする感じだ。

イメージは、あれですアレ。

源氏物語六条御息所

 

まず、その人から沸き立つ色は、黒のイメージ。ちなみに黒も悪いわけではない。かっこいい黒もいるから。

三角の下から見上げるような目。つり目っぽい。

笑っても目は笑わない。能面的な顔。

人を見る目に優しさや思いやりがない。

ずーっとマイナスなことを吐き続ける。

その場に調和するのではなく、

周りをじぶんに従わせようとしたり。

そうやって押さえつけ、落ち込ませ、

エネルギーを奪う。

女の嫉妬執念系の念。

 

その彼女は、帰り際に、私にわざわざ呪いの言葉を投げつけていった。

「〇〇ちゃんだっけ?(←間違ってる。失礼)髪切って、塩ふりかけたほうがいいよ!」って(´-ω-`)

おめーがな!っておもったよ。

彼たまとはラブラブなんでいいっす。

失礼な人の言葉を聞く気になんてなりません。

コノハナサクヤにしては、色気がない。

匂いたつような艶っぽさっていうの?それでいて、情熱があり、勝気な奔放系。

かぐや姫にはあったよ。と思い、ああ、かぐや姫コノハナサクヤだったんだって気づく。(後で、かぐや姫のモデルはコノハナサクヤ姫だって調べて、ひとりで納得してた。だから桜が見えたのかもね)

 

最初の時、思いっきり狐女の目を見つめちゃって、

いつも人を疑わずに入っちゃうから、

その後、思いっきり念を受けてしまい(学習しないw)しばらく体がとてもしんどくなる。

 

この出来事を自分に返すと、

昔まだもっと未熟だったとき、私も狐女と同じことをしたなぁと思ったので、エネルギーが返ってきたからコンプリートだと思った。そして反省もした。

サイキックの残念な見本を見た。

念が強いから扱い方を学べといわれてきたことに、納得していた。

中庸になることの大切さ。

ただ観るということ。

あれは、私の目指したい方向じゃない。

そして、狐女もまだ途中なんだなと思った。

 

それから、これから、私が自分の体験をもとにたどり着いた信念を持ちつつ、人を照らそうとしたときに、抵抗に負けずに、勇気を持って打ち出すということが必要になる。理解する人はほとんどいないと思った方がいい中、誰にも正解を求めず、私はこうですと表現する、その実践の場だったなとも思った。

 

とっても勉強になったし、それから、私が自分の体験のみで、感受してきたことは、やはりその通りだなって思った。

一生懸命研究してる人の話が、

私への解説になってたから。

新しく知る知識もあって、さらに私の中で色々繋がった。

私はラッキーなことに、こうやって会った人に後から解説をもらい受ける。

クンダリーニの謎を追ってた時は、友達に会ったらタントラのセミナーに行ってて、エネルギー体の講義をシェアしてもらって、言葉や概念を知り、これこれこう言う体感のこと?って聞くと、それはこうやって講義されたって教えてくれ、納得していた。

 

世の中色々な人がいるなぁと、

改めて眺めていました。

自分が創り出す世界だけど、やはり、

人がいるから磨かれるものがあるのだね。