こんにちは。
タイムリーに響く!というご感想もいただき、
今似たような時間を通過している人も多いのかなと、感じてます。
宇宙全体の動きと連動してる、
つまり流れにのっているって思ってます。
大きな枠組みが変わろうとしている中、
私は去年からずっとメッセージとしてあるのは、
「喜び」に生きなさいなんです。
嬉しくなることを選択すること。
これ、どうも天王星のおうし座時代のキーワードだったみたいですね。
それは、メッセージと感覚で、
もらってるんですが、
いざ実践というと、その前に、
そうではないものの解体と、手放しが行われるので、
混沌とした、少々きつく感じる流れを経験します。
本編は、
ちょっとしたドロドロ内面話が
続きますので、みたいと思う方は、どうぞ(^-^;てへ。
しばらく苦しかった時のことも、
振り返っていたんですけど、
ここだなって思います。
肯定することと、受容することの違い。
受容の先に、
喜びは開けるのだな、と思います。
肯定しようしようとしてる時は、
実は苦しいんですね。
肯定ってことは、否定をひっくり返そうとしているから。
間違いじゃないとか、
こうありたいとか、
否定を反転させようとしている。
受容は、良いとか悪いとかではなくて、
そのまんま
そうだね〜
そんなこともあるね〜
そんな風に思うんだね〜
それでいいねって、
ただ認めることですわね。
頭でわかっても、これを体に落とすことは、時間がかかると思います。
体に浸透させることが、
潜在意識に入り込むことと思うのです。
地球ならではですね(^^)
これに、私は時間がかかってます。
しかし、これが落とし込まれると、
そこには、安心しかないんですね。
体がリラックスします。
余裕が生まれるから、楽しむことができるようになります。
楽しむって、余裕がないと、
できないと思いませんか?
それで、私のことに置き換えると、
私の身に起こる現象を、
「排除」しようとしていた時があって、これは「できない」から苦しむんですね。
その次に、「肯定」しようとしていた時がだいぶあって、
それってやっぱり、どこかおかしいとか、こんなことをし続けていていいんだろうかとか、
否定の感覚が入っているんです。
払拭した気になっても、
何かの拍子で、チョロっと出て来たりして。
その正解探しで、
ツイン云々カンヌン、色情霊だの、
生霊だのなんなのカンナの、
ってなってました。
これを、善悪なくただ、認めるなら、
「受容」するなら、
そうだね〜
そんなこともあるよね〜
おかしいって思っちゃうよね〜
あら?気持ちいいの?
そう、よかったね〜
そこにどっぷり浸かるのが怖い?
怖いね〜
悪いことしてるような気になるね〜
その感覚だけに集中してみたら?
あ?まっしろ?
よかったね〜
この先どうなるかわからない?
成るように成るでしょ〜
それに、よかったこともたくさんあるのです。
このよかった、つまり感謝する部分にもフォーカスしてみました。
人間相手なら、こんな風にはできなかったなっていうことで。
という感じです。
自分自身を認めて、そして
持っているセルフイメージを点検して、
それを変えて行くと、
あまり気にならなくなって来ます。
この時に、
自分自身に湧き上がる感情に
ジャッジしないことです。
出て来たのだから、認めるという、
ひたすらその繰り返しですね。
我慢を癖のようにやって来た人は、
知らないうちに、またやっていたりします。
ちょっと苦しく感じているのが、
そのサイン。
この苦しいって、溺れているような、
せき立てられるような感覚でしょうか。
その時に、こんな言葉はどうでしょうね。
よく頑張ったね〜
精一杯、愛して来たね〜
いつも期待に応えようとして来たね。
優しいね。
笑って欲しくて、一生懸命だね。
誠実だね。
と、声をかけてあげてね。