I Love Serendipity.

私のツイン体験記

無条件の愛

わたしがとても尊敬している女性から、

昨日久々にお会いして、

学びの講座に出て、

また一つ気づきがありました。

 

無条件の愛の意味。

 

こうだから受け入れる、

ということでもない。

 

魂からの情熱は、

尽きることがない。

 

捨てようとしても、

捨てられるものではない。

 

これがわたし。

This is me。

 

それを知るためのプロセス。

じぶんの条件を外すプロセス。

 

彼たまは、わたしに無条件の愛を向けているのだと理解しました。

これか。無条件の愛のパワーは。

だから尽きることもないし、

とてもパワフルである。

それに条件をつけて、抵抗しようとしたり、

拒否しようとしているのは、

やはりわたしが条件付きだったからだ、

と理解しました。

 

もう、そこも超えました(^^)

 

わたしに起こることは、

わたしそのもの。

起こっていることは、止められない、

無くせない。

散々止めようとして、無くそうとしたので、

わたしは、どんなにそれが強力かを知っている。

じぶんを超えるものが、もたらしているものもある。

エネルギーレベルで知る、ということは、

迷いの中にいる時に伝えてゆくためなのだ。

それも、昨日実践としてやってきました。わたしと彼の逆バージョンの方に。

 

その、無くせないものと生きてゆくと、受け入れた時、それが終わってゆく。

終わってゆくと、

新たなステージが始まる。

 

それを、わたしは実感しています。

 

どんなじぶんも、丸ごと受け入れること。

引き受けて、許して、愛してゆくこと。

これが無条件の愛だ。

すべては自分からはじまる。

ゴールはなく、生きている道のりで、

何度もその時はやってくる。

 

その気づきの翌日。

わたしの祖父母のお墓まりに、

行くことになっていて、

気がつくことがありました。

 

おじいさんの亡くなった日は、

殿の亡くなった日と同じでした。

 

おばあさんの亡くなった日は、

わたしが彼の夢を見て、最初にLOVERSと言われた夢の日でした。

 

わたしのおばあさんが、

マリアなどにつながるもので、

十一面観音への導きは、母方からのものです。

どうやら、家系の色々なものも解消したり、繋いだりしているようにも感じていす。

ちなみに、わたしの父母は、

お隣同士の誕生日です。

 

そして、お墓まいりの時に、そこの住職さんが通りかかり、ゆっくり個人的な話をしました。

もう20年以上行ってて、こんなことは初めてです。

そうしたら、その住職さんの出身地は、

彼の生まれ育った場所だと語りました。

住職さんは、その土地から、もう一つの土地を経由して、わたしの住む土地までの流れの話もしてくれました。

その土地たちは、彼が仕事で辿ってきた道と同じでした。

 

生まれる前から繋がっている、

そんな縁もあるんだよ。

 

彼はわたしに、

精神的な自立をしてゆく道の、

すべてを与えてくれました。

家も、仕事も、今の環境も、

男性性も、女性性も、セクシャリティも、無条件の愛も。

感謝でしかありませんね。

 

過去世の自分も受け入れてゆくことは、

命を丸ごと受け入れてゆくことにもなります。

決して、綺麗なだけではなく

愛憎も、過ちも、被害者も加害者も、

すべて起こしてきたんです。

 

じぶんの中を統合してゆく方法は、

色々あり、

ひとつだけではありません。

 

目の前に起こること、

心がひかれること、会いたい人、

直感が指し示す方向。

それをやって行く先に、

魂の道が開かれて行きます。

 

統合された後は、

賛美の世界につながってゆくのです。

 

無条件の愛が、

生命の喜びそのもの。

生命とは、「ただ在ること」

これを、宇宙系の方の言葉では、

アイアムプレゼンズと言っているのだろうと思います。

 

喜びに生きなさいとは、

じぶんを揺るぎなく信じるとは、

ただ在ることなんだ。

それが許しでもあり、

これは頭でわかったとしても、

体から腑に落ちないと、

たどり着けない世界。

 

そして、在るをただ観ることを、

「観世音」と言います。

観音とは、観世音のことです。

 

あぁ、なぜわたしが最初から、

観音のメッセージをもらっていたのか。

 

ただ在るは何も感じないとか、

穏やかだけの世界ではなく、

喜怒哀楽、すべてが自分の生命=喜びであると知り、

それが安心の世界であるのです。

世界や宇宙との信頼があるから。

自我を持って生まれてくる意味は、

ここにあります。

そしてその意識は、じぶんで変えて行くことができ、創造できるもの。

楽園とは、すべてが許されている世界。

ここは楽園であるって、

最初から試練はなかったのです。

 

わたしがどうしてもしたいことは、

わたしと同じように、

彼そのものを愛せるようになることでした。

 

ただ、流れに乗り、湧き上がる直感に素直になって行動して、

ほんとうの気持ちを見つけ、

そこで感じる様々な体験を喜びと知り、

信頼の中で、ただ観るをしてゆけばよいのでした。