I Love Serendipity.

私のツイン体験記

それでも、行くのか?

なんども問われる、この問い。

 

カタチをもとめず、

起こってくる出来事と、

流れと、自分に湧き上がる感情と、

それの浄化、エネルギーの変容、

行く場所、関わる人、

さまざまな見えない存在たちからのサイン。

 

それたびに、

なんども問われた、この問い。

 

それでも行くのか?

つまり、それでも愛するのか?という問い。

 

「それでも」のところに、

これまで「交換」して来たことが

「ジャッジ」して来たことが

起こってくる。

 

たとえばね。

彼が私に一緒にいる時間をくれなくても。

他の人と仲良くても。

わかりやすい優しい言葉をくれなくても。

なぜ、それに痛みを感じるのかを、

知る旅に出ることになる。

人に言いたいことは、

自分に言っていることなんだけどね。

それは愛さないことの理由になるの?と。

 

激しく痛みを感じる時に、

その時のお前の本当の心はなんだ?と、

何度も問われる。

 

それは、真実という。

 

2016年の半ばくらいの頃から、

あなたの「まこと」を見せなさいという

流れに入りました。

 

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自分をごまかすことはでません。

自分だけは、騙せない。

 

なかったことにしたり、

見て見ぬ振りが上手だった人ほど

これは大変かもしれません。

 

失いたくないものほど、

本気で欲しいと言葉に出せない。

欲しいと言わない、優等生な理由を、

たくさんたくさん並べ立てる。

それほどでもない、

というフリを自分にする。

それは、そうしなければ溢れてしまうほどの、求める気持ちがあるからだ。

自分がどこまでいくかわからないほど、

理由なくその人に惹かれているから。

 

本気で大切なものは、自由でいて欲しい。

私の気持ちが相手を縛る。

自分が相手を苦しめるという苦しみ。

わかっていても、

なかなかなくならない執着。

このジレンマ。

結ばれないなら、

なぜ出会わせたんだと、

神を呪う気持ちにすらなる。

というか、呪うよね。絶望する。

そういう流れがやってくる。

その時、悪魔が目の前にやってくる。

お前の望みを叶えてやろう。

 

両極を知ることになる。

 

でも、それだって超えて行ける時が来る。

執着があるけど、執着を手放す。

手放すはなくすこととは違って、

囚われないということ。

ただ見つめられる時がくる。

 

執着や嫉妬も恐れなくなると、

自由に愛することもできるね。

 

そのプロセスぜんぶが、愛と知る。

究極の「自分=世界を愛する道」

 

それでも、行くのか?

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