I Love Serendipity.

私のツイン体験記

★167話★出雲族

翌日。

東寺へ向かった。

 

そこで、薬師如来を見る。

笑えた。彼にそっくりだったから。

 

それで、なんかわかった。

彼の守護は薬師如来

ラファエルと、薬師如来は同じなんだね。

 

東寺の日光菩薩は、私が最初にもらった絵の観音様の顔とそっくりと思った。

 

2018年から、2019年への移り変わりの時、こう感受しています。

「新しい太陽が昇る」

過去生が月なら、

月が終わり、太陽が始まる。

私が月と太陽と両方やれると、

きっと彼は、薬師如来になれるんだなって思った。

薬師如来日光菩薩月光菩薩が傍にいて三位一体。

月光菩薩に値する人がいるの?と聞くと違うんだっていうから、それでなんとなくそう思ったんだ。

私はタヒチのフェーズがきてる。

つまり悲しかった過去生が終わり、喜びに生きていくフェーズが来ていた。

ものすごい圧を受けながらね。

 

こう感じる。

陰陽融合すると、ゼロになり、

宇宙空間ができる。

それから、日光月光合わさると、

浄化して、薬師如来つまり、癒しパワーが発現する。

 

その後、この日の一番の目的地、

出雲大神宮へ向かった。

 

籠神社は、元伊勢と言われている。

出雲大神宮は、元出雲だ。

 

伊勢が終わり、出雲が立ち上がる、も

私が感受していたことだ。

殿姫の足跡、涙の伊勢ラインが終わり

ハワイやタヒチからの喜びの出雲ラインが立ち上がる、って感じだった。

なんでだろう?って思ってたけど、

このあと謎が解ける。

 

出雲大神宮へ着くと、まずは奉納された曼荼羅の絵を見に行った。

姐さんは、この絵を見る人は、変化したり泣くか人もいると言っていて、

その絵を見て、なぜかすぐにわかった。

それは、エネルギーの乗った、陰陽統合の絵だったからだ。

降ろして描いている絵だと伝わってくる。

 

姐さんが尋ねた人がいた。

出雲大神宮宮司さん。

その人にお会いして、お話をすることになった。

 

宮司さんと会うと、これもすぐにわかる。

ただものではない。笑

 

そう思って、その人のお話を聞くと、霊能者に弟子入りすることになって、その教えを受けていたりしたようだ。

私は宮司さんにスキャンされたのを感じていた。

 

その宮司さんから、伝えられたことに、

私はまた驚く。

宮司さんは、出雲大神宮の成り立ちについて話し始めた。

 

出雲族の話だ。

 

出雲族は渡来人であること。

それから、籠神社は、かつて出雲族が暮らしていた場所だと言った。

そのリーダーとなる人と、妻の話を聞いた。子どもを産んでと言う話をする宮司さん。

妻は私だ、と思った。

「ここで、子どもを産んだ」

恵比寿神社の声はこれのことだ。

 

宮司さんの話が、昨日、私が籠神社で感じたことの解説になっていた。

また驚きの中にいた。

 

 

そして、出雲族の足跡を、順番に話し始めた。

大分、新潟、青森、天橋立、諏訪、現在の島根など。

 

ほんとうの歴史は、次代の権力者によって隠されることがあるが、正しい出雲族の歴史を、末裔が語り継いでいて、今も語り部がいるという話もしてくれた。

その末裔の語り部が、

現在住んでいる土地は、

私が行くと言われたところであり、

最初に住もうとして飛ばされたところであり、

現在、彼が住んでいるところだった。

驚いた。

 

私が歩いてきた土地は、

出雲族の足跡だったのだ。

昨日、ここに住んでいたと思った籠神社の場所は、出雲族の暮らすところだった。

そして、古事記などに出てくる神様の名前は、当時の役職名でもあることがあると教えてくれる。

 

ここで、唐突に、新潟に彼と旅行することになった、謎が解けた。

 

 

私は宮司さんに聞いた。

どうして、今出雲なのか?

 

すると、

出雲族は、肌の色が違っても、言葉が違っても、一度家族になれば分け隔てなく大切にした民族だそうです。

調和ですね」と言った。

 

大和民族は、戦争の歴史だ。

 

その後、宮司さんが案内してくれて、

出雲大神宮奥の院に行くと、ストーンサークルのような磐座があり、やはり宇宙を感じたのだった。

 

ここで、交信してそう〜〜〜。

 

そのあと、気になる大きな岩の前で

たってじっとしていたら、

入れないように縄がかかっていたけれど、

宮司さんが入ってもいいよと言ってくれて、

近くでその岩を感じさせてくれた。

 

「私はとても出雲族に縁があると思います」

というと、

宮司さんは、そうでしょうね、と言っていた。

 

私はこの旅の展開に、放心状態。

わかっているんだけど、わかっていてもやっぱり驚くものは驚くのだ。

いろいろな答えがやってきていた。

 

 

彼との最初の旅の新潟にもなぜ行ったのかわかったし、ことあるごとにやってくる、たくさんの言葉に込められていることは、一つのことを指している。

いずれ書きます。

 

出雲大神宮を後にして、京都市内に戻り、

姐さんと夕飯を食べて、帰り道。

ストリートの詩人に会う。

 

姐さんが、その詩人に頼んで、詩を書いてもらっているのを見ていたら、

この人チャネラーだと思った。

私も書いて欲しくなって頼んだ。

 

でも、詩を書く色紙がなくなったとのことで、半紙に書くけどいいか?と聞かれる。

もちろんオッケー。

 

虹の描かれた詩は素晴らしく、

嬉しくて満足だったのに、

半紙が折れないようにと、詩人の作品をつけてくれた。

後々、これがキーワードとなる。

 

その色紙にはこうあった。

「人間五十年 下天のうちにくらぶれば

夢幻の如くなり

一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」

 

織田信長が好んだ歌だ。