I Love Serendipity.

私のツイン体験記

共依存について

書かないといけないなぁと、思いました。

これ、ものすごくテーマで来ているので。

 

ツインの話や、ツインに限らずいわゆる魂のつながりの話って、

スピリチュアルに傾きますが、

共依存的な関係という観点も必要かなと思います。

ご参考までに。

 

カルマメイトと言われるのは、

この共依存関係に該当するのかなと思います。

 

共依存とは、

心理学の分野で言われています。

 

もともとはアルコール依存患者と、それを支えてしまう家族から発見され、名付けられました。

 

今では、アルコール依存だけではなく、もっと広範囲で使われています。

回避依存型の男性と、

依存心が強い女性が陥りがちとも言われます。

 

回避依存とは、人との関係を深く作れない人です。

平たく言うと、とても傷ついた経験があり、

その傷で、人と深い関係を作ることが、恐怖と結びつきます。

そのため、深い関係が築きそうになると、その傷が疼き、それから逃げるように掴ませない行動に出ます。

 

共依存の方は、相手の問題を解決したり、

人の世話をすることで、みずからの問題(孤独や無価値観)から目を背け、存在意義を見出します。世話を焼くという形で、支配をしています。

この人は私がいないとダメだという言葉に象徴されます。

 

この2人が組み合わさると、強力に結びつくので、

別れたいのに別れられないと言う状態が続きます。

 

この根底は、与え合うのではなく、

奪い合うことです。

だからとても苦しい関係になります。

感じる感情は強烈です。

ドラマのようにも感じると思います。

刺激が強いんですね。

だから、恋愛してるって、

悲劇のヒロインにもなれます。

これはあまり書かれてたりしませんが、

世話を焼く側は、こんな弱くて傷ついている人を、

支えているじぶんは、天使や女神や神様だと言う心にも浸れます。

 

どちらも根底には、

じぶんは愛されないとか、価値がないとかの価値観があることが、

感じれるでしょうか?

 

ツインの苦しさはね、

現実の相手からの拘束ではなくて、

魂のつながりの強さです。

それは苦しめるわけではなく、

じぶんに向き合わすための強力なチカラが作用するからです。

そっぽ向きたくても、無理やり顔を戻されるという感じです。

でも、そこには常に、愛があります。

愛を感じれることが、見えても見えなくてもあると思います。

愛と信頼はセットです。

かならず自分自身に目が向くようになると思います。

そして、じぶんを信じること、相手を信じることにも繋がってゆきます。

その時の苦しさは、解放されるネガティブの浮上です。

解放されるべきネガティブが終われば、

そのあと現実も、感じる感じ方も

変わると思います。

じぶんを愛すること、

大切にすることの意味も学んでゆきます。

 

この共依存関係の時、

お互い奪い合うものは、

自由やお金、愛、時間。

それから、信頼とか、自尊心とか、

考える力とか、

その人が自分でたちあがる力とか、

そんなものだと思います。

 

これは、運命でしょうか?

ネガティブにとどまらせる関係は、

運命ですか?愛でしょうか?

 

私が一番伝えたく思うのは、

ツインであることに結びつくのは、

シンクロ現象でもなく、

エネルギーのことでもなく、

無条件の愛に行き着くと思うのです。

それに気がつきます。

霊的現象は、ツインでなくとも

起こる人には起こります。

霊的感度は個人によって様々だけど、

全員が感じるわけではありません。

 

でも、この無条件の愛についての気づきは、かならず行き着くだろうと思います。

それは、相手ではなく、

まず自分自身へ向かいます。

そして、相手も同じだと、心底思うのです。

 

自分自身を愛すれば愛するほど、

相手との関係は良好になって行くと思います。

これは、ツインでもツインでなくても、

どんなつながりの人でも。

 

共依存に気がついたら、それをやめたいと思ったら、

自立の道で断ち切る勇気が必要になります。

これはものすごく苦しく、辛いと感じるかもしれません。

それで存在意義を見い出してたら、

生きてる存在そのものが、

揺らぐ気になるかもしれません。

虚脱感や無気力を感じるかもしれません。

相手に存在意義を見出し、

支配しあっているから、そうなんです。

ここを超えてから、わかることもあると思います。

 

愛は支配しません。

上下関係も作りません。

ここにいる全員が、

生まれてきている時点で、

存在を認められているんです。

愛は認めることです。

自由を与えます(^^)

自由であることは、責任もともないます。

責任は、自分自身に対するものです。

責任には、境界線も必要です。

境界線がわかると、相手のやるべきことと自分がやるべきことも明確になると思います。

その上で、繋がっている感覚です。

 

自立の道は、楽ではないけれど、

喜びもセットだと思います(^^)