I Love Serendipity.

私のツイン体験記

変わりのない答え

何度目かの、再会ラッシュ。

 

ほんとに、不思議なくらい

連絡をもらったり、会う機会が不意にやって来たりします。

 

その人が、最後にわたしに伝えてくれた言葉は、

「人生は創れるからね」という

一言でした。

 

ぜんぶ手放す流れに入って、

わたしに今残っているのは、

わたしと、彼たま(笑)

手放しても手放しても、

しつこく残っている。

戻ってくるし、帰ってくる。

 

大きな変化の前に、

一回落ちる。

 

落ちた分だけ、上がる。

 

上下と言う意味でもなく、

振れるといえば良いかしら。

 

セクシャリティの闇(光を当ててなかったところ)を通り抜けました。

そうしたら、ひとつの答えだけが残りました。

 

純粋な、気持ち、想いが、

ただそこにあることを理解して、

それには、こうなりたいとか、

こんな関係になりたいとか、

そんなものはないのだ、

ということを理解しました。

 

起こることを信頼することです。

受け入れることです。

抵抗は、否定だということで、

わたしが何度も抵抗するなと言われて来たほんとうの意味も、わかり始めました。

その時意味なんか考えなくていいし、

予測はしないほうがいい。

 

わたしは、何度も

「神はすべてよいことしか与えないと、そういうものであると信頼してください」と、

いろいろな形で、メッセージをもらっています。

神は、別の言い方に言い換えてもいいのです。

 

良いとは、

人間の解釈の良し悪しとは

ちょっと違うかもしれないけれどね。

 

自己否定は必要ありません。

 

自己否定の最初は、それは周りに、

愛することができない人がいただけ。

 

できないことがあってもいいし、

どんな想いを持ったっていい。

 

痛ましい事件の子どもが、

教えてくれました。

 

「あしたはもっとできるようになるから

おねがいだからもうゆるして」

 

できるかできないかなんかより、

その子がこの世界に生きていてくれるほうが、よっぽどいい。

それを感じれないほど、

自分自信にできるように!と追い詰めていた親たちの心の寒々しさ。

自責も他責も本質は同じ。

外に向くか、内に向くかだから。

 

その苦しみが起こった時、

自分を責めずに、

自分がどう考えれば楽になるのか、

笑えるのか、

それが許しだと思います。

 

「もう、わたしはわたしを許しました」

この言葉は、いろいろなものをほどきます(^^)