ステージの中、
統合前の必須とか言われている、
霊的覚醒って、難しい言葉ですよね。
そもそも、霊的って何かって思うし、
覚醒って何かって思う。
スピリチュアル普及委員会という、サイトがあって、
シルバーバーチという大霊が、特定の霊媒に降りて、言葉を記録したというものを公開しているサイトがあります。
霊的なことを記した、古典書物をわかりやすくサイトで紹介しています。
私は、これでも勉強もさせてもらいました。
感じることを言葉にするのにとても役に立ちましたし、理解ができました。
人間の本体は魂とする、霊主肉従の考え方や、霊性をあげるとはどういうことか、
霊能の道へ入ること、その役目がないのに憧れてサイキックをムリに開くことの危険性など、フラットな情報が出ています。
私は自身は、元々サイキックですが、これは持って生まれた体質だと思っています。
そして、霊的覚醒はサイキック能力を開くこととイコールではないと思っています。
このスピリチュアル普及委員会の、霊媒体質に元々私は当てはまります。
それがわかっている上で、このブログを書いています。
私は彼とのことが起こる前から、サイキックです。第3の目が優位なタイプです。自分だけで思っているだけでなく、スピリチュアルの活動をしている方から、必ずと言っていいほど言われていることがあり、何人もから告げられているんです。
そして、能力者さんに、ある時期がくると自然と次々と出会う中で、霊的知識を教えられる機会も必要なタイミングでもたらされ、警告も含めた指導もその都度受けています。
私の一つの役割の中に、見えない世界を言葉で具現化して見えるようにするということがあります。
多くの能力者さんが感覚的なことなのでとても苦手なことですが、私は言語化は得意なことであり、伝えることが役割の一つでもあると思っています。
ですので、ツイン〇〇ではないことで、色々な視点
体感などを盛り込んできたつもりです。
こう言う世界もあると言うことを。
話を戻して…。
輪廻とは何か。
霊性を上げるとは何か。
霊的覚醒って、霊的な法則を理解することは、最初の土台になるのかなと思います。
理解とは、腑に落とすことを示しています。
知識として知っているではなくて、体感覚で落とし込んでいるような感じです。
人間の本体は魂です。
肉体は乗り物です。
そして、ここは地球です。
例え話で出しますね。ツイン〇〇の話とか世間の騒ぐ問題に、不倫は悪ですか?という質問があると思います。
ここで言ってる不倫は、婚姻関係がどちらかにあり、誰がみてもその場を見れば明らかに肉体関係を持ち、恋愛関係にあるということを不倫として指しています。
シンプルな答えで、世間が悪と言うから悪だという善悪の意味よりも、
誰と恋愛をしようがその人の自由だけど、カタチ云々よりも、私はその不倫をする人が、自分のパートナーとしている相手が悲しむことをよしとするなら、アリだと思っています。
因果応報をわかっていて、そのエネルギーを自身で引き受ける覚悟があれば。
でも、悲しませるのが嫌ならなんでするの?と思います。
自分の感情や欲だけを大切にして、相手を悲しませても、なんとも思わないような相手なら一緒にいても負のカルマしか生まれないから離れれば?とも思います。
ここまでシンプルにはできないけれど、そしたら向き合うところは別にあるかもしれません。
大切な相手なら、笑って幸せでいてほしいと思うと思うのです。
隠してわからなければいいだろうと言っても、自分が隠し事をしていることに心を傷めることがまったくないなら、それもアリですよね。でもそれは、本当の自分を生きることになるのでしょうか?
そして、自分を大切にすることになるのでしょうか?
人って、本当の自分をわかってほしいと願っていますよね。何よりも自分自身に。
抑圧は、自分自身を傷つけます。
それに、霊的世界を信じるなら、例えば、じぶんのツインとの魂の繋がりを信じるのなら、同じように、仮にも肉体関係を持っているパートナーとはエネルギーはより濃く繋がっており(エネルギーの流れ方は体感を持ってお伝えしてあります)、伝わっていると信じることが自然です。
その相手との関係が離れたいのにどうしても離れないのなら、学ぶべきこと、解消するカルマが存在していると考えます。それはどちらも、自分自身を内観して行かないとわかりません。
そして、やりきらないのなら、学びは残るので何度も同じ事がやってきます。
このような考えに至るには、以下のことが頭での理解でなく、実感として腑に落ちているからです。
輪廻とは、クリアしたい課題をクリアするため、同じことを繰り返すことを指しています。それは与えられているチャンスだと考えます。
輪廻の輪を超えるには、成長が必要だし、視点が変わらなければ、びっくりするくらい同じところをぐるぐると回ります。少なくとも、何かの輪を変えたいと思って生まれてきます。
カルマとは、罪とか業とかの意味ではなく、一般的に言う良いことも悪いことも含めたすべての行いからの課題だと思います。
因果応報とは、バチが当たるという意味ではなく、
自分が出したエネルギーは、自分に帰るということです。
だから意識することで変えて行けると、最近では引き寄せと言われています。
この思考を選択することを、難しくするのが、エゴです。
エゴは大抵、過去のネガティブ経験から、自分を守ろうとしてくれるものです。敵ではありません。
エネルギーが帰って来るのには、タイムラグが生じます。
霊的覚醒とは、このような法則を理解し、自身の責任だと言うことを理解することを指していると思います。
責任とは、第6チャクラの作用でもあります。
人の成長は、第1チャクラから始まり、第7チャクラまで行くことなら(もっと先があるかもですが)、第4でハートを開き愛をしり、第5で表現をしてコミュニケーションをし、第6チャクラは知性と理性の精神性です。
エネルギーを感受することだけではありません。霊感とか第3の目だけではありません。
理解する、わかる、冷静に見る。
そして、生まれてくる魂は、さまざまな体験をして、輪廻の輪を抜け、霊的に進化して行くことを目指しているのだと思います。
だから何度も生まれ変わるのですし、
だから結果的に無償の愛(悟り)に行き着くのだと思います。
負のカルマを解消しようとする魂は、新たな負のカルマは作らないとしようとすると思ってます。
ポジティブを選ぶってそういうことだと思います。
負のエネルギーで、やられても、やり返さない選択をして行くようになります。
なぜなら、帰ってくるのがわかっているからです。そして自身を深く内観すると、相手のネガティブは、どういうものかも理解できるようになるのではないかと思います。
霊的仕組みや法則がわかってくると、そのコントロールの仕方もわかってきます。
霊とは、エネルギーとも言い換えることができます。
コントロールは人や物事にするのではなく、じぶんにするものだとわかってきます。支配という意味ではなく、舵取りのようなものだと思います。
考え方が変わっていきます。
視野を広げて、己の感情のコントロールと表現する術を学んで行きます。
負のカルマとは、別の言い方をすれば葛藤になります。
人にぶつけなくても我慢してじぶんの中に葛藤があればこれも負のカルマです。
それをネガティブは解消しましょうと言っているのだと思います。
葛藤を溶かせるのは、包み込むような愛なんです。
肯定ですね。
これを調和とか、統合と言っているんだと思います。
ツイン〇〇のプロセスを信じるなら、
ツイン〇〇に出会う人は、喜びの5次元へ行こうとしているわけです。
葛藤のない世界です。
統合や融合は葛藤があればできません。
どちらにも霊的覚醒が必須ということは、この法則を理解し、実践して行くことが必要だからだと思います。
覚醒は、サイキックを目覚めさせることではありません。
霊的法則を完全に腑に落とすことだと思います。
結果的にサイキック能力は飛躍的にのびるかもしれません。でもそれは本筋ではないと思います。
実践しなければ同じところをめぐりますね。
輪廻の輪にみんないるんです。
生まれてくるとはそういうことです。
輪を抜けて行くには、負のカルマを解消して行くしかありません。
この時、理性が必要だし、感情の欲は反発しますよ。エゴは変わることを抵抗するからです。
輪廻の輪の外は未知の世界なので、反発します。
負のカルマを新しく作り出しているなら、まだ解消しようというところまで行っていなくて、これまでの輪廻の輪のうちにいることだと思います。
そして、純粋にこのプロセスを歩いていっていれば、起こる様々なことで霊的法則を理解し、腑に落ち、実践して行く流れに入り、ある時、「わかる」時が来て、世界の見え方が変わると思います。