I Love Serendipity.

私のツイン体験記

★202話★巫女と自立、男性性の立ち上がりについて その1

さて、伊勢と京都への旅と並行して、

私にはあるイベントが起きていた。

 

 

なぜか、あわの歌を歌う時、

イザナギのパートで泣けてたのかといえば、

失ったように感じていたからだ。

 

 

それは、セレーネさんの個展での、

出会いから始まる。

 

その時会話を交わした、

カメラマンの女性がいた。

彼女は、花子さんとしよう。

 

その日の会が終わり、花子さんから話しかけられ、話をしていると、お互いの家が、

歩いていけるような近所に住んでいることがわかった。

 

それで、今度お茶しましょう、

という話になったのだ。

 

ただ、私は友達というものを欲してなかった。

大体ガッカリしてきたことが多くもあったし、

ビジネスに集中したかったりもした。

でも、この仕事のことは、停滞して行っていた。

ただお茶を飲んでっていうことを求めてなかった。

この一旦停止に入っていくのは、それまでの浄化するというベースから、

喜びから創造するベースに切り替わってきていることを感じていた。

私自身の、バージョンアップ。

 

繰り返すけど、お茶を飲んで話をするだけの友人は、求めていなかった。

私が誰かと話をすればセッションのようになる。

気づきを与えるけれど、私の方には大抵そうならず、

とてもモヤモヤする気持ちを残すことが多い。

 

そして、収入も減少していく中、

仕事を一緒にできる人を欲していたのだ。

 

だからと言って、

やりたくないことはしたくなかった。

それで色々考えたけれど、

私がやりたいことがあって、

それは見えないエネルギーを、

メニュー化すること。

 

エネルギーで貢献している人に

形を与えて、その価値を循環させることがやってみたかった。

形のない貢献ってあって、それを言語化して循環させていかないかと考えてたのだ。

ただいるだけで、場を整える人がいる。

その人が動けば、縁がつながるなど。

私がそうだから、よくわかる。

 

共同創造をやってみたかった。

これをするには、同じような価値観や、

やってきた人としかできない。

 

花子さんと最初にお茶した時から、

いろいろ展開していった。

 

彼女とお茶をした時、ものすごく喜んでくれたことがあった。

 

なぜなら、花子さんは一緒にいるだけで

相手を浄化する高い浄化力のあるひとなのが伝わってきた。

 

そして、私の身体は右側によりがちで、

それは彼のエネルギーに引っ張られていたからと感じてた。

 

右側に寄り目になっちゃうし、

顔も歪みやすかった。

 

やだな〜〜と思ってたのに、

花子さんとお茶した後、パソコンのオンライン画面に映る自分の顔を見て、はて?となる。

 

シメントリーに整ってたからだ!

 

あれ?あれれ?

 

これって〜?としばらく考えて、あ!!

花子さんだ!と気がついた。

 

花子さんもビジネスをやろうとして様々なことを学び、スピリチュアルの講座とかにものすごくたくさん受けて、私よりもずっと大きな投資をたくさんしてきてたひとだった。

 

だから、花子さんにメッセージをした。

ねえねぇ、あなたすごいね。

女性性のエネルギーを与えられるひとでしょう?って。

 

そしたら、彼女は大感激!!

そうなのー!

初めて気がついてくれたって。

なんでわかったのか聞かれたから、

説明をした。

私の身体のここがこうなってああなってって。

ものすごく感激してくれた。

誰も気がつかなかったことなのに!!って。

 

でも、このあと彼女の傷がオーーープン、

する。

 

私の光も大きい方なので、

昇華するものを、ぶつけられる役になりますよ。

 

まったくもって、

世の中の講座とかで言ってることは

表面的であったりして、

真理、の道にはずれていくことが多々あるからさ。

魂の構造の話になるのだけど。

 

これも、体験したことをどうやって、

言葉で説明するのかな?という中で、

言語化するものを見つけてきたのだ。

これは、彼たまの融合で体感したことだ。

 

ちなみに、私はスピリチュアル講座は、

受けたことがない。

 

必要なタイミングで、

先生となる人や物事が現れる。

 

だから、瞑想とかもストイックにやったことがない。

食事制限もストイックにやったことがない。

カードセッションは、最初からできた。

チャネリングもやり方を教わったら、

もともとやっていたことを言ってるのだと知った。

どんなものか体感しないと分からないから、

一通り経験してみた。

 

そんな感じでも、チャクラは開き、

霊的な経験を一通りしていると思う。

 

 

その話を最近、セレーネさんにした。

講座とか受けたことないって。

勉強もじぶんの理解と、

裏付けのために知識を集めただけで、

なんだかわかってることも多かったって。

それに私、食べものは、

わざとジャンキーなものをとるときありますって。

(敏感になりすぎないため)

そしたら

「必要ないんだ。だってどうみたって、

あなたは宇宙人だもの」って笑った。

 

そうなんだと思う。

 

そして、人間は見抜ける人が少ないから、

同じことを言っていたとしても、

私のいうことは信じなくても、

影響力のある人のは信じる人の

なんと多いんだろうなぁ。

 

それから、同じような感じで、

わかっているものの、話を聞かないってやつね。

 

それは好きにすればいいけれど、

だったら私に言うな、聞くなって思う。

 

私はたくさん聞かなくても、わかる時がある。

そして、そうじゃないよということを伝えても、だいたいスルーする人が多い。

その人は、その人自身の、

じぶんの命に対するリスペクトが半端だから

そうなるんだけどね。

私は私のそんな部分は、感謝で手放し、

もう喜びで生きていきたいと思ってる。

それをしたいのなら、

勝手にやってくれよ、だよ。

無駄に終わることはもうしたくない。

消費に興味がない。

人生に無駄はないっていうけど、

それもその通りだけど、

真剣に考えたら、本当にそれで納得するの?

カルマを超えたところに、

細胞から喜べるじぶんに出会える。

 

一緒にいる人を選べと言われるのは、

そのためだ。

 

覚醒は、1人になることで起こるものだ。

究極の1人を行くと、反転して、

本当の意味で鏡の世界ではなく、相手が見えるようになる。

 

これは、リスペクトと、

感謝の話につながるのだ。

 

そうそう。

なんでタイトルが巫女かっていうと、

過去世などで、巫女経験が多い人には共通するテーマがある。

 

意志の力で反転させないと、

いつまで経っても貧乏だったり、

中途半端な感じで終わっていくと思う。

ようは、開けていかない。

(ただし、ペアの場合はエネルギーシェアのことがあるから、これも書きたい)

苦労しなくても女性性の力は溢れているわけ。

だから、男性性の力をいかに身につけて使うのかっていうことが、実はテーマにあるんじゃないの?

誰かにやらされているのでもなく、

快楽(感情や、感じることだけ全般ね)に溺れるでもなくね。

でもこれがめちゃくちゃ苦手だと思う。

自己統合がやはり、大切なんだな。

やったことのない反対側に、

ギフトはあるのだから。

 

ツインの相手やら、

魂のつながりのある相手、

云々の前に、

うちなる男女の結婚が先、という話。