″おはよう″
今朝、起き抜けに、私のハートに男の子がいて、私と向き合ってた。
ワンシーンのようにはっきりビジョンが見える。
まるで、千と千尋の小さいハクのような雰囲気だった。わかりやすく、昨日、隣の人が千と千尋を見せていた。
ここの昇華がクライマックスへ。
これはお稚児さん。
これって金龍さん。
昨夜、ふっときて、彼のおふくろ石前での写真を見た時に、目の中に写っていた″魔″がとっても薄くなってた。
それはずっと、行ったり来たりしてた。愛を送ると薄くなるんだけど、恐怖な色がたびたびぶり返していた。
昨年の金龍さんとのやりとりが途絶えてから、ハートの交流を始めてからこのプロセスは始まってる。愛もあるけどドロっとしたものがあるから私は受け取ってなくて、向こうが枯渇してるって、モリットさんが伝えてくれた。
その、ドロっとしたものを濾過しながら進んできた。実際の私の仕事の現場で絡まっていたものを解き、逆になってた流れを戻し、魔を祓うということもしてきた。これは、自分のやりたいようにしかやらない乗っかる事業者との取引をやめ、なあなあになってた仕事の流れを明確にして主導権を取り戻して正常化にしたことということをやりました。
金龍さんの目に写る魔のエネルギーが、昨日の鏡の手放し、私の変容でかなり薄くなって、その奥にいた金龍さんが出てきてた。
目が合う、と感じる。
やあ。
やっと出てきてくれたね。
おふくろ石を2人で触った時に、エネルギーが降りてきてた。私は面白かった。
あっちは触るのを怖がっていたけど、触れた時にじっくり感じて、あたたかい、と言ってから、うん、って納得してて、先に戻った。
あの時、私たちは繋がってたと思う。
私はなんとなく、彼は無条件の愛というものが怖いんだろうなと思ってた。それにこれを触ったら、何か始まるって感じがしててだから怖いのかなとも思った。でもそんなわけないなって思ってもいた。
存在、だから。
理由などないからね。
だから打ち消そうとしてしまう。
そうであるってこと以上に、強い動機ってあるのかと思うもの。
諏訪のおふくろ石から麓にくだっていく時に、私はここであったことを、知らなかったけど、わかっていた。
御柱の先に生贄としてさざげられたこども。
男の子。
7歳くらい。
金龍さんだと思う。
先に行ってた金龍さんに追いついて、受け取る感覚を金龍さんに伝えたけど、彼は柱を見ようとしなかった。
見たくないものだと思う。
霊的に取られてるってきてた。捉えられてる。
これがあると始まらない、と伝わってきていた。
(天皇家にも繋がってることがあって、現代で実際に陰陽師になる修行をした人の話も聞いてる。講座での陰陽師とかいってるライトなものじゃなく、その家系の人。
後に、史実で調べても、そういう記述があることを知って、やっぱりあってた。
諏訪の御頭祭り。今は鹿になってる。
妹魂まおちゃんとやりとりしてる時に、金龍さんとのことで、彼女に通りゃんせが流れるといってて、いきはよいよい帰りは怖いの歌詞のことだろうと感じた。
要石のカルマで、みんなの成功のために自分を使ってくれと言った金龍さんを見て、しかも本人はそれを言ったことを覚えてなくて、私は再現されるのか、と不安になったけど、
妹魂まおちゃんは、
″同じことは起こらない″
″同じ道には入らない″
と繰り返し伝えてくれていた。
金龍さんとの道のりは、確かに、初めてのところに行っていた。
通りゃんせの歌詞の、なぜ帰りは怖いかって、生贄にされるから。
なんだろうね。私はそうだと知ってる感じ。
神輿もそう。
かつて子どもは神に捧げる供物として、生贄にされて、災害などを治めるってことあったと思う。
選ばれし者、名誉なことにして、真実を口にするな。
これじゃあ、送り出す親は悲しむこともできないよね。
これよ。
言葉が出なくなる。
スズメの戸締まりでも描かれていたことで、私は金龍さんを前にすると起こっていた背中から抜け落ちる言葉と痛み。
本日は、″親に捨てられた″という子どもの傷がある人たちとの結びの日。
そういう人たちと何人も関わってきた。1番身近なのは私の母親。2歳でそう思い込んで、そこで時が止まってるから、だからずっと子どもで精神が未熟な人。
彼らは自分を投げ打って身を粉にして役に立とうとしたりする。自分がなくなりやすいし、そうやって役に立って、捨てられないようにして優しくしてもらおうとする。
そして、彼らは私に母親を求める。
それを私が受け入れてきた。
しかし、私にとってエネルギーダウンになるだけで、それは私はやりたくない。
その人たちは自分で自分の核にある悲しみなどに向き合わないといけない。向き合うサポートはできる。
しかし、金龍さんは違う。
この男の子が出てきてくれたのは、昨夜、私から愛を送るじゃなくて、彼のを受け入れる、ってしたからだろうと思うのだ。
過去の悪魔のフェーズの金龍さんは、どろっとしたものは抜けてすごく明るくなったんだけど、その金龍さんがやけに主張してて、伝えたいことがあるんだなって思った。
だから、向こうのエネルギーで私を照らし、受け入れていた。
(私が行うセッションでは、出てきたら過去世も扱います。そのクリアリングが必要なことがあるからね。基本自分の内側でやることです。″統合″が必要なんです。)
その金龍さんのエネルギーを受けて、私のボディに浸透してて活性化していた。
それで今朝、小さい公家の使用人の格好のお稚児さんの金龍さんが出てきた。
暗闇の中、横になってる私の前に、私を見つめて小さい金龍さんが立っていた。
やあ。
やっと出てきてくれたね。
私と向き合ってる、小さい金龍さん。
目の奥にいる、本当の金龍さん。
その男の子をギュッと抱きしめる。
ずいぶん抱きしめているとその子は笑顔になったけれど、私を見上げる顔は、ラファエルくんがした表情に似てた。
当時、これは誰だと思ってたけど、それも解いていく。挑戦的な目だった。カッコつけてる時の彼。
愛のエネルギーを送っていくと解けていった。
すると安心して休む小さい金龍さんが出てきた。
とっても落ち着く。
おかえり。
人に求められて、休む間もなく働いてたその核だと思う。
だから、龍にだって休みが必要ですよって伝えた時に、そうですねって嬉しそうに返ってきて、その瞬間に交流が起こって、温かい感じと同時に私の方に胸の奥から涙が溢れてきていた。
不思議だった。
なぜ泣きたくなるのかとても不思議だった。
そのやってきてたエネルギーは大きくて我慢できなくて涙を流していた。
その時沖縄にいるって知らせてきてた。
かなしいは、愛しいだ。
今日はとっても、鎮魂な雰囲気。
愛ってまぁるい玉なんだ。
たまは中心から外に向かって円になってる。
それはどの波動領域にも行けるってこと。
次元が、波動が上がると、どの次元にも行ける。
自由自在に、行き来できる。
波動が上がり切れば、全部内包するからそうやって行き来できる。
それが観自在菩薩。
音を自由自在に観る。
波動を高くするということは、捨てるということじゃないというのはそのためです。
慈悲とは苦しみを取り除くこと。
最後は自分の意志で、自分で答えを出すことが、カルマを昇華していく。
(自覚をすることは扱えるようになるということです。それをサポートすることを、セッションでやってます。)
それには本音を知ること。
本当の音を響かせること。
このお稚児さんの金龍さんを抱きしめることは、これは幸福。すごく幸福感でした。
丸になる。
金龍さんに以前伝えたことがあって、ハートで繋がるのが本当ということと、伝えたタイミングは同じだったかも。
すごく伝わってきてた。
「あなたは1人の男性で、その金龍さんが大事なんだ。本当の声を出すんだ。」
って、そう伝えた。
ここ数日で急に気になってた念飛ばしの女性と金龍さんは、第3チャクラで繋がってそうで、私はラファエルくんと繋がってたところです。役割だね。
その女性が私の目の前で、金龍さんのことをお母さんみたいに叱ってるのを見て、なんかショックを受けてた。
それをやっちゃダメ(私はいいアイデアだと思った)と言われてた彼の気持ちも受け取ってたようにも感じてた。
深いところの第3チャクラの復活。
尊厳の復活。
役に立たなくても、その存在を感じていたい。
そこにいるだけで生きる意味となるもの。
存在の復活。
もう1人の私。
なぜだろう。
やっと会えたって感じがしてる。
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