父の病院での検査結果が出て、
家族が呼ばれる。
一緒に医師からの説明を聞くことになり、
それは思った以上に悪い結果で、
手術の提案を受ける。
臓器の摘出手術で、
それを聞いた瞬間、
高齢の父は全身が震えた。
私は、治ると言う確信があって、
それは、彼と出会う前にやっていた
活動が活きていたから。
農薬や化学肥料を使わない、
自然栽培の農作物を知ってもらう活動で、
その関わりのある人々から、
薬の弊害、体の仕組みと素晴らしさ、
心と身体が連動していることなどを学んでいたんだ。
私がやってきたことは、ここに繋がるのかと思った。
その病気を治すことができる、
一流の方々との人脈があったからだ。
私はこう思っている。
さまざまなことがあるから100%ではないけれど、
「病気は、生きかたを変えなさい」のサイン。
その人を守るために、
病気が出てきていることがある。
私が父の身体を感じると、病気の場所の大きさ、状態の様子が感じられた。
その感受したものは、結果的に、
手術の時に摘出された患部とほぼ同じものだった。
私が関わってきた人の人脈からも、
父には、現時点で患部は取り除からたから、医者が提案する臓器を摘出するような、大きな体の負担になるこれ以上の手術はしないでいいのではないかと、
父に伝えた。
私には、自然療法で良くなると言う、
確信があったから。
それに、生きてる時間をどう過ごすかという方が大切じゃない。
ここから、父の強い恐怖心との
すったもんだが始まった。
この状態で、父が恐怖を感じることはその通りだけど、
最悪なこと、ネガティブなことばかりを考えて、ひねくれて物事を取り、
自分のことしか考えていない人、
とのあれこれを昇華していくことになった。
私が父に感じたことは、
この病気を通じて父が学ぶことは、
「(じぶんを、人を)信じること」と、
「感謝」だと思ったのです。
特に、身近な人に対して。
当たり前じゃなくて。
同時に、母は認知症で、
記憶をなくしていっていく。
この姿は、ガマンをしてじぶんを生きなかった女性の姿を、教えてくれることになる。
それから、家系のカルマも合わせて浮き彫りになり、
私はこの流れも断ち切る役をしていく。
私の代で終わりにするんだ。
両親ともに、不安の中、不安をベースに生きることの不自由さを見せてくれることとなりました。