I Love Serendipity.

私のツイン体験記

共依存テーマについて 

なんだかこの新ステージを前に、

私自身がずっと取り組んだ

共依存問題がリターンしてきましたね。

 

共依存についての情報は、今とっても多くの人が出してるので、思い当たる節がある方は見てみてください。

共依存とは Wikipediaより】

自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする。

共依存者の多くは、お互いの依存を健全なる愛や支援などと捉えて判断する者があるが、この概念が覆るとき、両者は苦痛や疲労や無力感などを背負う。また他者より、共依存という関係を否定されたり責められると、強烈な自己否定感から精神的安堵を求め、更に強い共依存の関係を求めやすく、その行動や言動を改善する事とは逆に、共依存であることを煽る場合もあり最悪の場合は自殺する者もいる。

 

共依存者には以下の特徴が見られる。

他人の面倒を見たがる(強迫的世話焼き)
自己の価値を低く見る
抑圧的である
強迫観念にとらわれやすい
相手をコントロールしたがる
現実を直視できない
何かに依存せずにはいられない
コミュニケーション能力に乏しい
他人との境界があいまいである
信頼感を喪失している
怒りの感情が正常に働かない
セックスが楽しめない
行動が両極端である

 

自己愛が未熟であることに起因します。

 

極端なのは、

あなたがいないと死んでやる!ってやつですね。

別れるなら死んでやるとかいうやつ。

気持ちを汲まないと、冷たいとか言ってくる人もそうで、その人の機嫌をとってくれと言わんばかりの人は、大体、共依存関係を作りやすいです。

あなたのせいで、傷ついたとか、あなたのせいで!あなたのせいで!っていうのは大体そうです。

これに対して、罪悪感などからその期待に応えて

世話する方も自尊心が低かったりするため、

共依存関係を作ります。

 

どちらの状態も、その人の課題となります。

 

 

 

 

もう、20年以上前に、

私は母との関係から、

じぶんがおかしいって思いました。

といっても、おかしいと思ってなかったけど、

その時、仕事場でいつも辛くて、

それがおかしいと思ってました。

 

母の一言がきっかけで、

カウンセラーの女性に会います。

 

最初、私はその人が怖かった。

自立した人で、私のコントロールの及ばない人に感じたから。

だけど、彼女が私に言った、

ここに遊びにおいでという言葉が心に残り、

彼女の事務所へ行くことにした。

 

今でもよく覚えてるけど、

ご機嫌とるようなこと言うと、

「うそつけ。バレてるぞ」って

言われたもんです。笑

私は自分が境界性人格障害に近いな、

と思ってたけど、そう思う人は違うから

大丈夫だと言われました。

本当にそうな人は、病識がないからです。

依存とかもそうなんですけど、

どっぷりな人は、

自分がそうだと気がついてないものです。

 

そこで、私の両親が私にしてることは、

虐待だと言われ、目が覚めます。

暴力を振るってないけど、虐待だと。

 

なぜかというと、私の自由がなく、

あらゆることにコントロールしていたからです。

そこで、私はDVの種類について知ります。

それまでは愛だと思ってた。

両親は、私の意思を尊重しないし、

行動をいろいろ制限されていたからです。

そういうのは虐待だってカウンセラーに、言われたんです。

じぶんの手足の延長のように扱う父も、

それはまるで執着だと。

 

ショックだったし、まさかって思ったけど、

確かに感覚的にそうだ、それは正しいと思った。

後に分かりますが、

これは私の魂のカルマのテーマでもあるんだよね。

だから、家族が再現してる。

そして今なら、全部その通りだと言える。

 

執着は愛ではないのだ。

そして今、父は私を前よりも愛してると思う。

私を尊重するようになったし、

私の意見を聞けるようになった。

父自身も80歳を超えて、変わる努力をしてる。

でも、染みついた、共依存的な態度は変えられませんね。

父母は共依存してました。

日本では、多くの高齢世代は

そうかもしれません。

 

私はすっかり不安が強い人に育っていたので、

何も自分で決められないし、決めてもこれでいいのかってぐるぐるしてたし、

とにかく引っ込み思案でした。

人の間では緊張してしまう。

(↑セッションなどでも聞いてて、その人がどうしたいかの意向を聞いた時に、子どもがとか、夫がとか言ってくる人は大体これだと思っててます)

 

そのカウンセラーに、回復段階で、

私は母親を投影しました。

その人が、私が知らなかった、解放されて

とても楽しい世界を見せてくれたから、大好きって思ってました。

あんなに笑ったのは初めてっていうくらい

笑えたのだ。

当たり前ですが、

カウンセラーなので受容的でもあり、

たくさんのクライアントがいるわけです。

途中で、独占できないことの苦しみなどが出てきてて、

私は態度などで現したけれど、そんなの通用しません。当たり前です。

甘えが通用しないことに腹を立てて、

私はその人から離れます。

でもさ、これはその人を好きではないですよね。

彼女の仕事を認めてないです。

依存が強く、その人と離れる時は、心が焼け爛れるような苦しみを感じ、私はそこで、自分が本当に異常だ、って思いました。

壊れてるって思いました。

好きだと言いながら、壊す。

依存ってこういうことかと。

誰かいないと生きていけないとはこう言うことかと。

はっきり強く、これを治そうって決意しました。

その間、依存心が強く、社会性が薄いため、

対等な関係が築けず、会社などでもうまくいかないわけです。

 

その人と離れた後も、

私は色々な方法を実践しながら、

カウンセラーから教わったことをやりながら、

自分でいろんなことをしてきました。

初めてそのカウンセラーに出会ってから

8年くらいたってましたね。

 

予期不安という妄想をやめ、聞いてもいない相手の心を予測するようなこともやめ、

とにかく現実だけを受け止めるトレーニングを積みました。今に生きることを実践したわけです。

幼少期からインプットされた

認知の歪みを、ただしていきました。

(↑これがあったからこそ、スピリチュアル能力の開花で、いろいろとあっても、チャネリングしても、

おかしな方向に行かなかったんです。)

 

共依存の中で育ち、いわゆるアダルトチルドレンになってる人は、

継続が苦手、完璧主義なあまり、途中で投げ出すこともしばしばであり、不安と不信感が強く、

依存するがその相手を信用はしてません。

 

わたしは体が弱いと思ってたけど、

自分を取り戻すほどにそれは無くなり、

健康で、丈夫になった。

いつも辛かった気持ちも、なくなっていきました。

それまでは何かあれば自分のせいと、

すぐに嫌われた、とビクビクしてたけど、

反面とても傲慢でもありました。

人の問題も背負ってきたからです。

一番は、父と母の間の不均衡に、わたしが入ることでバランスをとってきたことに象徴されてました。

そして、本当の意味のプライドではなく、プライドが高く、評論ばかりをしてました。

それがすっごく嫌でした。

いつか自分はやればできるって、やらないで威張ってる人のような感覚が常にあったからです。

 

自分自身が、他者との境界を引くようになり、

NOを言うことを自分に許していくと、人から断られたりしても、

なんとも思わない自分になっていた。

人格や自分の存在と、自分の意思を表明することはまったく別のものだと腑に落ちていったからです。

それに、自分が回復するにつれ、両親への怒りがとても出てきたのです。

彼らはそれを愛だと思っていたけれど、

抑圧されてた時の、私の奪われた時間に対してで、経験できたかもしれない楽しみがあったこと、それの喪失への悲しみ、

憎しみとも言えるような激しい怒りでした。

私はその怒りがあるのがなんとなくわかってたら、

自分が蓋をしていた感情を出すのが、

怖かったんです。マグマのようなものすごい強い怒りをなんとなく感じていたから。

でも、ここを解放させていきました。

 

使う言葉を変え、自分との約束を守り、

毎日の小さな行動をコツコツやり続けた。

カウンセラーと離れた後から、

私の冒険が始まったんですね。

導きが始まり、出会う人が大きく変わっていったのです。

 

最初の自立のきっかけになった

カウンセラーと離れて約2年後に、

魂の覚醒の流れがやってきます。

自立の始まりから、10年ほど経ってました。

 

もう1人でもいい感じ!って

自分の中の男女がバランスが取れて、

自信が出てきた頃でした。

 

新しい世界を見て、

大きな喪失感を感じる出来事があって、

そのすぐ後くらいに

扉を開く人との出会いがありました。

 

彼は私に、1人で強く生きることを

教えてくれる人でした。

私の周りにはいなかった価値観の人で、

とにかくカルチャーショックを受けた。

私が常識と思ってたことは、

とっても小さい枠だったんだと、

その人やその人の周りにいる人で知り、私をまったくの未知の世界へ連れ出してくれました。

彼の周りには会ったことのないような種類の人がたくさんいた。

今思えば相当面白かった。

 

どんなに出ようとしても阻まれて

うまくいかなかった私の引っ越しが、

その人との出会いで

あっという間に引っ越すことになり、

何もかも生活が変わった。

 

自由に生きること、自分で決めたことには誰の意見も聞かない、

強い姿を初めてみて、私は反発をしながらも

やってこなかったことに挑戦を始めた。

自分もそうなりたいと、

じぶんの仕事を始めようと、

そういう流れに入ったのだ。

(とは言っても、この人は父と似ていたわけ。)

 

だいぶ、彼から言われたからね。

いつも子ども扱いされて、

大人になれって言われたものだ。

 

その流れの中、私の仕事は、最初は数千円から始まり、順調に売り上げが立っていった。

その時、先生になってもらった人にも、ビジネス構築プロセスは、男性でも、全部やり切る人はとても少ないと言っていた。

やればわかるけど、ビジネスをやってるようで、徹底的な自分との向き合いになるから。

それまでの内観のプロセスが基礎にあったからやり遂げられたと思う。

一緒にスタートしたグループの人たちは、

全員やり遂げられなかった。

 

ある期間で、この人とは離れる流れになり、

セレーネさんとの本格的な

関わりが始まり、私は何をしたかというと、

それまで培ってきた自立を現実面で試すように、

私の力で、じぶんの責任で、

たとえマイナスになっても

やり遂げようと力を振り絞ってた。

セレーネさんは事業が成功してる人だったけど、彼女に丸投げしないでやり遂げた。

彼女に頼ってあてにして、仕事をしようとする人は、たくさんきたようだ。(乗っかって利益だけ得たいっていう人ね)いろいろな話を聞いた。

彼女から言われたよ。

ピンチの時の私の対処の仕方で、

あなたの胆力を見せてもらったって。

それで十分だったと。

なかなか女子にはいないんだと言って、

その信頼から、彼女との仕事が本格的に始まったのだ。

オファーが来たわけ。

私のツイン体験が、私の貫く獅子と、信仰する水瓶のパワーを鍛えてくれたわけです。

 

その仕事は、世の中にあまりなかったことで、

私の得意なことで、初めて経験する働き方ができた。

自分で自分の仕事に評価をし、価値をつけ、

金額を提示することもした。

自分のメニューを売ることとはまた違っていた。

時給ではなくなったし、創造的だったし、

今までのスピリチュアルの体験と能力が

全部活きることになったし、

たくさんのワークも体験できた。

もちろんその中でも色々ある。

嫉妬のテーマもたくさん体験した。

みんな自分がそんな努力とかしてなくても、

あれならできそうって思ったり、私に親しみとか近いものを感じたら、すぐできると思って

そのポジションを狙ったり嫉妬するもんだからです。

私がやってたから、何人も同じようにやりたいと言ってきた人がいたそうだ。

だけど、セレーネさんは私がエネルギーレベルでどんなことをしてるのか分かってたから、

私にしかできない仕事だと言っていた。

 

それも終わりを迎える。

セレーネさんとの仕事の一番最初の関わりが

私の魂の傷であり、自己犠牲的な姿勢から始まってたから、その契約で始まっていて、

ここでピリオドを打たないと、

そのエネルギーの連続となり、

立ち行かないのがわかったのだ。

 

そして、その間に、

ラファエルくんとの出会いがあった。

わたしが本当にエネルギーを注ぎたいものが、

わかったのだ。他者の応援ではなく、

私自身にエネルギーを注ぐことだと。

当時の彼は、私が扉を開く人と出会った頃か、

または、カウンセラーと出会った頃と同じような感じだったのだと思う。

だから、彼にとって、

私が扉を開く人なのかもしれない。

ただ、このプロセスを一緒には行ってないから、

私に2人いたように、ソウルメイトと奮闘してるかもしれないなとは思う。

 

カルマメイトは、その人との関係性で

削り合うような展開を見せる。

精算が起こるから、潜在的には戦っている。

カルマを超えた先に出会う人たちもいるんだ。

 

ひとつ言えるのは、

私個人の自立(つまり自分で自分の機嫌を取り、生きるための収入を得て、主体性を持って生きる)やった後に、魂の課題である、

自己犠牲のパターンを手放してきたこと。

個人の自立は、扉を開く人を鏡に開き、

魂の課題は、セレーネさんと開き合った。

どちらもビジネス成功者で、

私の第3チャクラを鍛えてくれた。

 

依存心というのは誰にでもあるものだけど、

ベースが恐れや不安でいっぱいで、

依存ばかりだと、崩れていくだけである。

 

好きだの愛してるだのいってても、

執着だったり、依存であることが多いからね。

 

ラファエルくんが、私と離れる時に言ったことは正しかった。

「僕は、自分軸を立てなきゃいけない」と。

「君のせいじゃない。僕の問題だ」と。

ラファエルくんは、私と共依存的な関係に

入ってしまう前に、というか、私に対してその感覚がとても出てきたことを自覚してて、離れたとも言えるんだ。

前の関係性を完全に清算、終わりにしてないと

次に持ち越すものだから。

 

ここにきて振り替えざるを得ないことがあって、

この共依存を断ち切るために、

私の奮闘があるのだとそう感じている。

それは、個人だけではなくて、家系、

それから過去世などの魂のこともそうです。

 

共依存は、幸せな関係性は生み出さないからだ。

 

共依存は、

どっちも相手に取り憑くことになるからだ。

なんなら未成仏の先祖まで乗っかってくる。

 

いま、このテーマを魂、肉体、遺伝子などで

本当の意味でしっかり捉え、

それを消滅させてる人が目の前に現れてる。

彼女の言うことはその通りだと、

私のこの体験からも共鳴するばかりである。

私は、その人が辿り着いてる、あそこまで行きたいってそう思っている。

 

スピリチュアルなことをやるのは、

主体的に生き始めてからじゃないと

おかしな方向に行くと思うわけです。

自分がないと、スカスカになるから。

それに自己一致して、自分自身のエネルギーが

高まれば、自然に直感力は高まるものだしね。

これは、霊能の怖さを知ってる人は、

みんな言うと思うよ。

本当に利用しようとする

見えない存在っているんだよ。

 

主体的でないと、知らず知らずのうちに、

カルマを作ることもしてたりするからね。

 

それで、主体的になればなるほど、

他者との関係は、喜びの分かち合いに

なっていくなと思います。

そもそも依存的でなくなると、

悩むことがほとんどなくなる。

後悔もほとんどなくなる。

悩むんじゃなくて、やるか、やらないかだから。

後悔しないようにするわけじゃなくて、

どのような結果でも引き受ける覚悟で、

やりたいと思ったことを始めることにフォーカスをしていくから。

そうすると不思議なもので、うまくいくんだよ。

何かあった時も、グチよりも打開策のための

他者の視点を聞きにいきたくなる。

 

もちろん、たまには弱音を吐いたり、

色々な側面はあるにせよ、

自分の機嫌は自分で取り、

頼らないということでもなく、むしろ

できないことは素直に頼るし、

相手といることは、そこに喜びがあり、

そうしたいからしてるわけであって、

嬉しいとか楽しいとか、お互いに何か

知識とか新たな体験とか、

喜びを分かち合うような関係と思うのです。

 

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